「紛失したあ?」
アレフのそんな声が響いたのはエンフィールドの役所だった。
通行手形はおろか、身元をしめすようなものを一切持っていなかった亮は、現在ジョートショップの仕事は勿論、就労自体を禁じられている。
そんな亮があるはずの住民票を確かめたいとし出たのは、ジョートショップを手伝いたいという意志の表れだった。
それならと、アレフを付き添いに役所まで来ていた。
職員の人に頼んで住民票を調べてもらった返答が、それだった。
なんでも泥棒に入られ、ノースロット方面に滞在している者達の住民票がごっそり盗まれてしまった。
不思議なことに金品には一切手をつけられずに、だ。
しかも盗まれたのは昨夜。
つい先程まで自警団が調査していたそうだ。
エンフィールドでは控えを本人に配布しているのだが、先ほどもいったように亮がそれを持っている筈もなかった。
どうしようと、うろたえている亮に職員が申し出たのは住民票の新規発行だった。
見つかれば新規の住民票を破棄して元あった住民票を使えばいいし、見つからなかったとしても、そのまま新規のを使えば良い。
そうしようということになり、職員から差し出された書類を受け取って、アレフは記入する為の机が置かれている場所へ案内した。
インク瓶の蓋を取り、インクを付けたペンを亮へ差し出す。
まず最初は住所欄。
しかし、ペンは動かない。
待つこと数分、アレフは怪訝そうに訊ねてみた。
「………もしかして、ジョートショップの住所を知らないとか」
紫電の瞳の視線が気まずそうにアレフから外れた。
どうやら図星のようだ。
「ま、まあしょうがねぇよな。それじゃ俺のいう通りに書けよ。街の名前は省略で、セントラルロット・ルクス通り5−3・ジョートショップ」
いわれた通りに亮は住所欄を埋めていく。
住所欄の記入を終えて、次は氏名欄。
これはアレフが教えるまでもなく、すんなり書き終えた。
住所欄、氏名欄、そして生年月日欄。
ここでまた亮の手が止まった。
アレフは尋ねようとして、慌てて口をつぐんだ。
亮は記憶喪失だ。
名前もリカルドがトーヤに託したメモを見るまで思い出せなかった。
おそらく生年月日もまだ思い出せていない。
どうしようとアレフが困っていると亮がこちらに顔を向け訊いて来た。
「書かないと、駄目……?」
「無記入箇所があったら受理されないからなぁ……」
「…………」
そのまま書類に視線を戻す。
生年月日で躓くとは思わなかった。
二人が書類とにらめっこすること数分、やがて何かを思い付いたように亮がぱっと顔を上げた。
未だ考え込んでいるアレフに声をかける。
「アリサさんが俺をみつけたのはいつ?」
「へ? あ……3月19、いや20日か……?」
「ありがとう」
そう言うと亮は生年月日の欄に3月19日と記入した。
それを見たアレフは慌ててしまった。
亮がしていることは虚偽記載。
役所提出書類をいい加減に書いていいものだろうか。
否、良くないに決まっている。
微妙な表情で口を開き掛けたアレフに、亮は罪悪感の欠片もなく言った。
「誕生日わからないし。適当で。ね?」
「………そーね」
調べようがないのだし、既に書いてしまっているのだから、アレフは承諾するより他になかった。
最後は生年月日欄の中に別欄で設けてある年齢。
この記入が終われば役所に書類を提出し、亮は晴れてエンフィールドに住民となる。
しかし、アレフの目の前でまたもやペンが止まった。
無記入のままの、年齢欄。
生年月日同様、解らない年齢。
「ここも、適当?」
「だな……」
二度目の虚偽記載となった。
溜息を吐くアレフを不思議そうに見遣る紫電の瞳。
その溜息の意味を全く解っていないらしい。
とにかく亮は適当に年齢の欄に数字を書いた。
紙を手に取り、アレフに見せる。
「これでいい?」
アレフは紙を受け取って、不備がないかチェックした。
姓名:飛鳥 亮
住所:セントラルロット・ルクス通り5−3・ジョートショップ
生年月日:3月19日
性別:M
年齢:20
ブッ、とアレフは噴出した。
記載されていた年齢は20歳。
無理があった。
「アホかっ! 10代半ば、せめて10代後半にしとけっ!」
「え? だ、駄目? 未成年じゃない方がいいと思ったんだけど……」
アレフに怒鳴られて亮はちょっと慌てた。
働くのだから未成年より成年の方がいいだろうと思って20歳と記入したのだが。
アレフは再び溜息を吐いた。
確かに働くなら青年の方が良いが、この見た目では無理がある。
18である自分より10pほど低い体。
何より女に間違えられるほど華奢で綺麗な顔。
女であれば通用するが、男では無理がある。
働くなら成年の方が良いと主張する亮と、見た目で無理があると反論するアレフ。
結局15分程話し合った結果、17歳ということで落ち着いた。
年齢を記入し直し、受付へ戻って書類を渡す。
数分後、受付の職員から「無事受理されました。ようこそエンフィールドへ」とかけられた。
無事手続きを終えた亮とアレフは役所の前へ出ていた。
穏やかな昼の日差しが街を明るく照らし、街の住民や旅人、荷馬車が行き交っている。
「これからどうする?」
「せっかくだから、エンフィールドを見て回るつもり。もしかしたら、見てるうちに何か思い出せるかもしれないし」
「じゃあね」
そう言って、亮は歩き出して行った。
風が吹き渡る。
亮から、うっとりするような花の匂いが香って―――。
「待った!」
気がついた時には、亮を呼び止めていた。
亮はきょとんとアレフを見ている。
「お、俺が案内してやるよっ」
「アレフさんが?」
「ガイドがいた方が分かりやすいだろ?」
焦ってしまい、声は上ずっていた。
―――何やってんだよ、俺は。
幾ら同じ顔、同じ香りがするからって、亮は彼女ではない。
そう、女ですらないのだ。
それなのに、どうして呼び止めてしまったのだろう。
どうして、今まで出逢った女の中で、亮が一番その面影が強いのだろう。
―――変に思われただろうか?
そんな事はなかった。
「―――そっか、それもそうだね。お願いできる?」
そう言って亮は微笑んだ。
風が、再びうっとりするような花の匂いを運んでいた。
亮祐:管理人です。アレフによる亮のためのエンフィールドツアーがはじまりました。何処何処行くかまだ全然決まってない。
翔:ダメじゃねぇか!!
亮祐:教会へ行って、色々行って、さくら亭でご飯食べて、最後は「incomprehensible speech and behavior」へ繋げる為陽のあたる丘公園へってことは決まってるのだけれども……。そういうわけで、教会へ続きます。
あ、ちなみにジョートショップに住所はでたらめっす。
BGM:日光浴/「TAM Music Factory」