―――その笑みから、感じた。
真っ直ぐ見つめてくるは、灰色の髪の女。
笑っている筈なのに、酷く恐ろしく。
「さようなら、アレフ」
―――死の恐怖を、思った。
エンフィールドの陽のあたる丘公園。
「や」
出会ったのは先日知り合ったばかりの女だった。
昼間は暖かな陽光で照らされているここも朝早くだと寂しげな風景だ。
仕事があろうとなかろうと、朝早い時間帯にここを抜けて誰よりも早くジョートショップへ行くのが決まっていた。
今日も何時ものように公園の前を歩いていると彼女に声をかけられたのだ。
目の前の灰色の髪と目を持つ彼女に。
先日はタキシードのような服だったが、今日は白い服装に白衣を羽織っている。
「聖、さん」
「いいよ、かしこまらなくて。聖でいい」
先日と変わらず、聖は元気そうだった。
“話があるから”と公園のベンチに座った。
「全然変わってない、この公園」
聖は"数年ぶりに戻って来たものだから家の掃除が大変だった”だの色々話をしてくれる。
けれどアレフの耳には入りもしなかった。
ジョートショップに戻った後、記憶喪失の事を話し亮の事を聞いた。
亮の家族はあの屋敷に暮らしていたこと。
母親は六年前、父親も亮が生まれる前に亡くなったこと。
そして二年前、亮が失踪したこと。
中でも意外だったのは亮の年齢だった。
失踪当時の年齢は19歳。つまり現在は20歳。
なんとアレフより二つ上、アルベルトでも一つ上だ。
てっきり年下だと思っていた。
ちなみに聖は同い年の従姉、里矢と理奈は妹ということだ。
屋敷から持って帰ってしまった写真は家族と近所に住んでいた木こりの家族との集合写真だったそうだ。
ちなみに後列の一番右前列の左から二番目がきこり家族だ。
「考え中のところ悪いけど、そろそろ本題に入っても?」
「えっ!?あっ……」
聖の声でアレフは我に返った。
「わ、わりぃ……」
「いいよ、別に。ほら、話してなかったから。亮の多重人格のこと。今日はそれを話そうと思って」
「あ……」
昨日は多重人格の事をきく前に家族だけで過ごしたいと亮を連れて出ていてしまって聞けなかった。
だがそれならまず主治医のトーヤ=クラウドに話すべき筈だ。
「けど、そんな重要な話しなら俺よりもドクターに……」
「だって君、亮の親友じゃあないのかな?」
その一言にアレフは目を見開いて凝視した。
そんなこと、一度も話した覚えは全くなかった。
「昨日見た感じじゃあの中で一番亮を気にかけてくれたのって君だったし、一番心配してるだろうから最初に話しておこうと思っ て」
あの時間だけで判ってしまうものなのだろうか。
いまいち納得できなかったが今は多重人格の事を聞くことにした。
「それで亮の事なんだけど、亮の小さい頃はね、こっちがいうのも何だけどすっごく可愛くてね。もうそこら辺のガキなんか目じゃねぇよって感じv」
「は、はあ……」
話しの内容に気が抜けてしまった。
まるで我が子自慢を聞かされているような気分だ。
「それでもって人見知りなんか全然しない子だったから大変でね……。まあ、そこも可愛いんだけど」
「大変?」
「ほら、人見知りしないってことは誰にでも懐いちゃうってことかな? 何の疑いも持たず。それでいてあの美形っぷりだから……」
それは亮がまだ幼かった頃の事。
皆と一緒に夜鳴き鳥雑貨へ買出しに行き、亮だけを外で待たせていた。
買出しを終え、迎えに行くとペロペロキャンディを手にしたいかにも怪しい男にまさに連れて行かれる所だったそうだ。
それ以来、外出する時は誰かが必ず亮の傍にいて一人にさせないことになったという。
街外れで暮らしているのも亮をそんな野郎から守るためだと。
どうやら亮は相当箱入りに育てられていたようだ。
「それで多重人格の事なんだけど…」
そして話しはやっと重要な部分に入った。
亮が14の時、初めに異変に気付いたのは里矢だった。
磁器人形のように無機質な表情をした亮に瓜二つの女。
「里矢がいうには、亮が鏡に映ってる自分に向かって話しかけてたってさ。その時は新手の一人遊びだと思って放っておいたそうだけど」
あの家からエンフィールドまでアレフ達の足でも一時間も掛かった距離と山道だ。
外出したとしてもエンフィールドまで行けなかったのだろう。
そんな一人遊びをしていても不思議ではなかった。
だが、今にして思えばあれは鏡を通して別人格と話をしていたのだろう。
「それから一週間程経った日のことかな」
『初めまして、聖』
当時、初めて聖に自己主張した別人格は守理だった。
守理は聖を圧倒させる程の知恵や知識を持ち合わせていた。
時には聖に助言をしてくれるほどだった。
その合間にリトルとも面識を果たしたが、聖が見つけ出した別人格はその二人だけだった。
「当時はね、その前にちょっとゴタゴタがあって亮のこと気にかけて上げられなかったとこもあったんだけど、そんなのいい訳にもならないかな」
「聖……」
「くやしかった、すごく。20年間、ううん、あの子が生まれる前から母親と一緒にいたのに」
聖には医術の心得があるという。
知識は外科に偏っていたが、それでも病気の患者が身近にいたのに気付かなかった。
「滑稽すぎて笑えてくる」
前かがみになり、額を押えていた。
情けない自分を嘲笑っているのか、
泣いているのか、
それは聖にしか判らない。
「だから余計に、悔しかった」
アレフは何も言えなかった。
今の聖にはどんな慰めや、励ましの言葉も何の意味も成さないだろうから。
ただ、見てるだけしか出来なかった。
それからどれほどの時間が経過しただろう。
聖はすっかり明るさを取り戻し、元気に振舞っていた。
「じゃあ、そろそろ行こうかな。ドクタークラウドにも話しておかないと」
「聖っ!」
アレフの一声に歩き出していた聖は足を止め、こちらへ振り向いた。
「何?」
「その……本当に大丈夫か……?」
無理をしてるんじゃないかと心配だった。
なんだか今にまた落ち込んでしまいそうな気がして。
「ダイジョーブ。そんなにヤワじゃないから」
心配をよそに聖は明るく笑って見せた。
この笑顔が本物か、それとも心配させない為の演技か判らないが今は聖の言葉を信じることにした。
クラウド医院へ向かって行く聖の後姿はとても堂々としていた。先ほどまで織り込んでいたとはとても思えない程に。
けど、本当は相当きてるんだろうな…。仮にも同い年の従弟が…
『くやしかった、すごく。20年間、ううん、あの子が生まれる前から母親と一緒にいたのに
辻褄が、合わなかった。
亮と同い年である聖が、亮が生まれる前から母親と一緒にいられるわけがない。
それに、写真の聖は今と何ら変わらない姿だった。
「聖っ!!」
慌てて声をかけると聖は止まりこちらへ振り向いた。
「おまえ、一体…」
それ以上、言葉が続かない。
いや、続けることが出来なかった。
今はまだ、その先を行ってはいけないような気がした。
そんなアレフに聖は口元にだけ笑みを浮かべる。
「さようなら、アレフ」
それだけ言って再び歩き出した。
そんな聖の後姿からアレフは目を逸らす事が出来ない。
「マジかよ……」
『さようなら、アレフ』
心臓が、早いリズムで鼓動を打っている。
震えが、止まらない。
恐怖を、感じていた。
―――殺されるかと思った……
聖の言葉が、忠告のように思えて仕方がなかった。
“これ以上自分に、いや自分達に深く関わるな”と言われたような気がしてならない。
情けないことにしばらくの間、その場から動くことが出来なかった。
END
亮祐:管理人です。さて、今回アレフには聖が多重人格を知った経緯と亮の幼少の溺愛ぶりを知ってもらいつつ聖に疑問
と恐怖を抱いてもらいました。副題も“死の恐怖”ですが、全然恐怖感じなかったのであれば申し訳ないことに管理人の力量不足です。
翔:精進しろよ。
亮祐:もっと勉強せねば…。それから幼少の亮を連れて行こうとした怪しい男は家族総出でボコられ医院送りになっております(笑)聖と亮は同い年の筈なのに何故その辻褄が合わないような発言をしたのか。後に判明させたいと思います。
今回から少しの間、キャラクターを視点に聖関連の話を書いていきたいと思います。略して聖の章。ちなみにアレフはしばらくしてから亮の元に向かえたのでご安心を。――で、また修正です。いつになったら修正しなくてもすむようになるんだろう?
翔:知るか。
亮祐:ではこの辺で
。
BGM:月の記憶/「OLD WOODS HUT」