深夜十二時。
青白い闇がエンフィールドを包み込んでいた。
「悪かったな、亮。こんな時間に」
「いえ、いいんです。俺もこの方が良かったから……」
トーヤは病院の診察室に居た。
目の前には亮が座っている。
トーヤは昼間、亮に「不安なら深夜12:00に病院にこい。誰にも気付かれないようにな」と耳打ちしたのだ。
亮もその方が良かった。
医者であるトーヤなら何でも相談できるし、何よりアリサさんに心配をかけたくなかった。
「それで、何をするんですか?」
「亮、人の記憶というものは実に曖昧で、それでいて精密なものだ。例えば昔あったことを事細かに覚えているものはまずいないだろう?」
「はい」
「だがそれは忘れてるワケじゃあない。記憶というものは何かきっかけがあれば思い出すことができる。そしてきっかけによって思い出される記憶も違ってくる。記憶というものは一つ一つの引き出しに別々の鍵がついてるタンスにしまう衣服のようなものだ。きっかけという鍵で記憶を管理する右脳というタンスから一つの引き出しを選んで開け、記憶という衣服を取り出す
」
「あ、確かに……」
「おまえの場合はきっかけとなる鍵はあるが、引き出しがありすぎて記憶が取り出せなくなっているんだ」
「つまりそれが記憶喪失の状態ですか?」
「そうだ。俺はその引き出しを開ける手伝いをしたいんだ」
「引き出しを……?」
「ああ。カウセリングを受けてもらいたい」
「つまり、ドクターは俺にカウンセリングを受けてもらうためにここへ?」
「そういうことだ」
ギシリ、とトーヤが座っている椅子の軋む音が静かな室内に響いた。
「そんな、カウンセリングなんて……。それに話すにしても何を話せばいいか……」
「そんなに深く考えなくていい。ただ自分の身にあった事などを話してくれればいいんだ。その中に隠されたきっかけがあるかもしれない」
「俺は、どうすれば……」
亮は心配なのか俯いてしまった。
とにかく、緊張を解す為にもここは昨日のことから訊いた方が良さそうだ。
「例えば、昨日のことはほとんど記憶にないらしいが何でもいい、何か覚えてることはあるか?」
トーヤの問いに亮は何も答えなかった。
ただ俯いたまま。
ピクリとも動かない。
「亮…?」
しばらく待ってもそのままの亮にトーヤはもう一度声をかけた。
次の瞬間、亮が顔を上げた。
改めて亮を見てヒクリ、と体を振るわせた。
亮の雰囲気が、今までのものとガラリと変わっていたから。
口元にニヤリと笑みを浮かべ、腕組みをしている。
「亮……?」
「久しぶりに出てきてみりゃあ、あいかわらず辛気臭ェ部屋だよなあ」
「亮……」
「トーヤ先生、亮が世話になってるみてぇだな。それには礼をいう」
トーヤにはすぐ解った。
粗野な態度。
トーンの違う声。
「けど、一つ忠告しといてやる。こんなつまんねぇカウンセリングでオレの…いや、亮の過去に首を突っ込むのはやめろ」
これは、亮ではない。
「おまえは誰だ……?」
喉に圧迫感。
息苦しさ。
亮に首を掴まれていた。
「よけいなお世話だぜ? トーヤ。 アンタには関係ねぇよ」
それだけ言うと亮はトーヤを乱暴に解放し、外へ出ようと扉の方へ移動する。
扉の直前でふと足を止め、脇を見た。
戸棚に飾っている深紅の薔薇がその目に映る。
『薔薇は好きよ』
脳裏に、声が甦る。
『だって、あなたが一番好きな花だもの』
そう言っておまえは微笑んだ。
優しい眼差し。優しい微笑み。
けれどそれは自分に向けられたものじゃない。
そのくらいちゃんと解っていた。
顔を顰め、花瓶を手に取ると思い切り床に叩きつけた。
割れた花瓶を踏んでそのまま出て行った。
「待てっ!」
トーヤも慌てて亮の跡を追いかけていく。
後に残ったのは水浸しになった床とバラバラに割れた花瓶。
そして尚も美しく咲き続ける真紅の薔薇だけだった。
END
亮祐:管理人です。これが事件当日の真夜中の出来事です。トーヤの説明がややこしいです
な…。薔薇をきっかけに出てくる設定をやめて、最後の方を加筆してみました。脳裏に甦った情景はかーなーり後のほうで明らかになると思います。ちなみにunnecessary
care?は余計なお世話?という意味です、多分…。
翔:断言できないのかよ!?
亮祐:ではこの辺で!
BGM:命の儚さ/「煉獄庭園」