彼が不安そうな瞳でこちらを見上げている。
「あなたのことも知らないし、医院にいたことも…」
彼がいうには何も覚えていないし、解らないと言う。
自分の名前、自分が何故ここに居るのか。
勿論昨日のことも何一つ覚えていなかった。
アレフも、どうすればいいか解らないでいると、外から声が聞こえて来た。
「おーい、何やってんだよっ!」
「早くしろよ―――っ!」
何事かと思い二人が窓から外を見下ろす。
下はとんでもない事になっていた。
「さっきの歌もっとうたえよーーーっ!」
「途中でやめんなよーーーーっ!!」
「店の前で困ります!」
「ひゃあ! 離れてほしいス!」
ジョートショップの周りに大勢の住民が押し寄せ、混雑している。
その人だかりをアリサとテディが何とかしようと説得している。
声の内容から察するに今の歌で集まったらしい。
その時、鎧を身につけた若い青年と厳格そうな中高年の男が混雑の中へ入ってきた。
「店から離れろっ! 栄養妨害でタイホするぞっ!」
「皆さん、下がってくださいっ!」
「アルベルトとおっさんじゃねーか」
「誰?」
「エンフィールドの自警団員だよ。――で、おっさんは自警団の第一部隊隊長のリカルド・フォスター隊長」
「リカルド……」
興味があるのか彼が身を乗り出す。
「あっ!」
「危ねぇっ!」
手を滑らせ体勢を崩した彼の服を慌てたアレフが掴む。
けれど引き寄せる前に手からすり抜けてしまい、彼が窓から落ちていく。
「スクルドッ!!」
彼ではなく、あの人の名を叫んでいた。
彼の名が解らなかったからというのもある。
けれどそれ以上に、本当にあの人が、スクルドが落下してくように見えたから。
アレフの叫ぶ声に驚いたアルベルトとリカルドが上を見上げる。
上から人が落ちてくる。
瞬時に受け止めた。
「あ、ありがとうございます。あの……大丈夫、ですか……?」
相手を見たアルベルトの顔が固まった。
相手の何たる美しさ。
同様にリカルドも固まっていた。
相手の顔に、自分がよく知る少女の面影が重なったから。
「大丈夫かっ!?」
慌てた様子で外に出てきたアレフの声で、二人は我に返った。
「大丈夫。この人達が助けてくれたから」
「アルッ! この騒ぎの原因は調べたのかっ!?」
「すんませんっ! 今すぐ調べますっ!」
アルベルトが人込みの中へ入っていく。
リカルドも彼を下ろすとアルベルトの元へ行った。
二人の背中を見つめていると後ろからアリサが声をかけてきた。
「良かった…。気が付いたのね。二階から落ちてきたのには驚いたわ」
「5日も眠りっぱなしだったんスよ?」
話し掛けられた彼がアレフの服をぎゅっと掴む。
安心させるために二人を紹介する。
「このジョートショップの女主人、アリサ=アリスティアさん。おまえを最初に発見した人だよ。んで抱えられてるのが犬っころのテディ」
「ボクは犬じゃないっスっ!」
「あの、この人から聞きました。街外れで倒れてたって。でもごめんなさい。俺何も覚えてなくて……」
「あら、そうなの? でもよかったわ。命に別状がなくて」
「あの、この人だかりってもしかして…」
「ええ。どうやら二階から聞こえてきた歌で集まったらしいの……」
アリサから事情を聞いた彼が住民達に目を向ける。
一方、アルベルトとリカルドは住民達から話を聞いていた。
「だーかーらー! 俺達はたださっきの歌の続きを聴きたくてー!」
「そうそう」
「歌だあっ!? んな理由で騒ぎなんか起こしやがっ……」
「まて、アル」
歌が、聞こえる。
春の暖かい風でさらりと靡く漆黒の髪。
先程受け止めた者が歌っていた。
「この歌、この歌声だっ!なっ!」
「そうそうっ!」
「すげぇ……」
「ほぅ……」
かの者は歌う。
眼を瞑り、胸に手を添えて。
それは、澄んだ歌。
森の中で聞いた水滴のような歌。
歌う者の、この世の者とは思えぬその美貌。
誰をも恍惚と魅了せしめる美しさ。
その美しさに、声に、誰もが魅入っていた。
歌を終えた時、集まっていた住民が一斉に歓声や拍手を始める。
「な、なに?」
「何って、みんなおまえの歌に感動したんだぜ? 素直に喜べよ」
「とても綺麗な歌声だったわ」
「ボクも惚れ惚れしたっス」
「えっ?えっ?」
街の人の歓声や拍手は鳴り止む様子がない。
彼の顔が悲しそうに歪んでいく。
「あ、あの……みなさんごめんなさいっ!!」
「―――っ!? お、おいっ!?」
突然、頭を下げた彼にアレフや住民達は驚き、戸惑ってしまう。
彼が頭を下げた理由が解らなかった。
「なんであやまんだよっ? こんなきれいな歌声なんだぜ?」
「だって、俺が歌ったせいでこんな騒ぎになったんでしょ……?」
頭を上げた彼が悲しげな表情を浮かべる。
騒ぎの始まりは歌を聞いて皆が集まったこと。
原因はこの歌。
「通行の人やアリサさんに迷惑かけちゃったし、それに自警団の人にまで……。もう一度謝ります! ごめんなさいっ! だから、通れるようにしてもらえませんかっ? お願いしますっ!」
彼が再び頭を下げた。
肩を振るわせる彼に皆は気まずくなる。
「わ、分かったよ」
「あんた、良い子だねぇ……」
目尻に涙をためながら住民達は散らばって行く。
やがて数分もしない内に元通り街に活気が訪れた。
それを見届けた彼がアリサとテディに向き直る。
「アリサさん、すみませんでした。こんな騒ぎにしてしまって…」
「いいのよ、別に。悪気があったんじゃあないんだから」
「そうっス。ご主人様のいう通りっス」
「本当に、ごめんなさい…」
謝られても、彼は暗い顔で俯いている。
声をかけながらリカルドとアルベルトが近付いてきた。
「大丈夫でしたか?」
「ええ、私達は大丈夫です」
「ケガ人は誰もいないっスよ」
「そうですか」
「おい、アレフ!」
声をかけてきたアルベルトに返事をしようとして出来なかった。
アルベルトの腕が首に巻かれ、絞められてしまったから。
「なんだよ、急に!」
「あいかわらずナンパばっかりしてるみたいだなぁ? そのうち相手に訴えられるぞ」
「最近はしてねぇよ!」
「嘘つけっ。だったら隣にいるのは何なんだっ!」
投げられたアルベルトの言葉にアレフは自分の両隣を見回した。
今、自分の隣りに居るのはアリサさんとテディ。
そして――
「え…?」
自分を指差して目を丸くしてる彼。
自分も初め、スクルドの面影を持つ彼を女だと思っていた。
おそらく住民達も皆、彼を女と思い込んだだろう。
―――こうはっきり断言してくれるなんてなぁ…
無意識で吹き出した。
「違ェよ。これは男」
「はあ!?」
「まあ、しょーがねぇよ。俺も最初間違えたし」
「ボクもご主人様も女の人だと思ってたっス」
「……俺、そんなに女っポイの……?」
彼が複雑な表情を浮かべていた。
この世の者とは思えぬその美貌。
誰をも恍惚と魅了せしめる美しさ。
どう見ても女にしか見えなかった。
リカルドがアリサに話を切り出した。
「ところでアリサさん、我々自警団としては彼から話を聞きたいのですが…」
「彼に?」
「え……」
聞いた彼の顔が不安そうに歪む。
「なんでだよっ!? こいつはただ歌っただけだぜ? そりゃちょっとした騒ぎにはなっちまったけど、こいつは悪くねぇよっ!!」
「勘違いするな。隊長はただ話しを聞くといっただけで、しょっぴくとはいってねーだろ」
「けどっ…」
「それに、どうやらそいつはこの街のもんじゃないようだしな。俺たちとしては事情を聞きたいだけだ」
アルベルトの言い分は最もだ。
自警団としては街に入った旅人のことは把握しておきたい。
けれどこんな不安そうな彼のことを思うと引き渡す気になれない。
「大丈夫よ、アレフクン。リカルドさんやアルベルトさんに限って乱暴なことはしないわ」
「けど!」
「あの……」
彼がアレフの服を掴んでいた。
「俺なら大丈夫だよ。大丈夫」
微笑みを浮かべる。
美しい、花開くような微笑。
彼に、スクルドの面影が重なる。
「なんでしたら中で話しませんか? 立ち話もなんですし。それにその方が彼も安心できると思いますから」
「そうっス。ご主人様のいう通りっス」
「ではそうさせてもらいます」
アリサさんとテディの申し入れを聞いて全員がジョートショップへ入って行った。
END
亮祐:管理人です。彼には当初「自分らしく」を歌ってもらってましたがやめました。ではこの辺で。
BGM:命の儚さ/「煉獄庭園」